佐々木 喜範 日本料理の料理人として現場を経験し、調理師学校では日本料理の教員・学科長を務めてきました。
料理人として働いていた27歳頃、ふと「このままでいいのか?」と自分に問いかけたことをきっかけに、1年間に一つずつ資格・免許を取得。
日本料理専門調理師、麺料理専門調理師、ふぐ調理師など、料理の専門性を一つずつ身につけていきました。

30歳で京都の調理師学校に教員として奉職。
日本料理を教える立場となり、学科長として多くの調理師を目指す学生たちを指導しました。その後、専門学校を退職。
「料理を学びたいけれど、学校に通うことだけが方法なのだろうか。」
そんな思いから、地元・彦根で料理を学べる場所をつくることを決意しました。
36歳、2010年2月。
彦根駅前に「佐々木料理学院」を設立。
これまで、失業者を対象とした調理の職業訓練や、滋賀県の委託による調理補助員養成訓練などを長年にわたり開講してきました。
「料理を覚えて終わり」ではなく、
「料理を身につけて、その人が次の一歩を踏み出せること」。
それが、長年にわたって料理を教える中で大切にしてきたことです。
現在は理事長として、基礎から応用までの調理実習、日本料理、調理師免許対策、料理教室などを担当しています。
主な担当
・基礎調理実習実務科
・調理師養成科
・日本料理入門科
・日本料理応用科
・調理師免許対策講座
・料理教室全般
保有資格・指導経験
・日本料理専門調理師
・麺料理専門調理師
・ふぐ調理師
・滋賀県職業訓練指導員
・調理師学校 日本料理教員・学科長
・滋賀県委託訓練 調理補助員養成科を7年間開講

料理人として現場に立ち、
学校で人を教え、
そして自ら料理学校をつくった。
だからこそ、料理の技術だけでなく、「料理を仕事にする」ということまで、一緒に考えることができます。
「人の人生に寄り添う」ことを続けてきました。
31歳まで、地元の銀行で銀行員として勤務していました。
金融資産アドバイザーやファイナンシャルプランナーとして、お客様の相談に乗り、その人のこれからを一緒に考える仕事をしていました。
結婚、妊娠をきっかけに銀行を退職。
そして、そこから私自身の人生も大きく変わりました。
料理の道へ。
佐々木料理学院では、これまでの銀行員としての経験を活かし、職業訓練の就職支援アドバイザーとして働き始めました。
「仕事を探しているけれど、何をしたらいいかわからない。」
「自分に何ができるのかわからない。」
そんな方たちの話を聞き、履歴書やジョブ・カードの作成、就職に向けた相談など、8年間にわたり約300名の就職支援に携わりました。
人の「これから」を一緒に考える。
これは、銀行員時代から今まで、ずっと変わらない私の仕事なのかもしれません。
一方で、学院長であった佐々木喜範のもとで、料理の世界にも入りました。
飲食店やホテルで働きながら調理を学び、調理師免許を取得。
さらに、就職支援の経験をもっと深めたいという思いから、国家資格キャリアコンサルタントの資格も取得しました。
そして現在は、料理学校の学校長として、調理を教えるだけではなく、「その人がこれからどう生きていくのか」まで一緒に考える学校を目指しています。

「平成から令和へ」
初代理事長から受け継いだものを大切にしながら、令和の時代に合った学校のあり方を模索しています。
平成の時代は、学校の中で料理を教えることが中心でした。
これからの令和の料理学校は、それだけではない。
料理と地域。
学校と地域。
人と仕事。
料理を通じて地域とつながり、地域の中で必要とされる学校になれるのではないか。
そんなことを考えながら、地域との連携にも取り組んでいます。
社会福祉法人の「みんなの食堂」や、地域に根付く「弁ちゃん堂」など、学校の内外にも活動の場を広げています。
料理学校と地域の皆様。
その間をつなぐ、「かけはし」でありたいと思っています。
私自身も、最初から料理の人間だったわけではありません。
銀行員として働き、
結婚し、
妊娠をきっかけに仕事を辞め、
そこから料理の世界へ入りました。
だからこそ、
「今の仕事を続けていいのかな」
「何か新しいことを始めたい」
「手に職をつけたい」
「人生をもう一度考えてみたい」
そんな気持ちを持つ方のことを、少し理解できるのだと思います。
人生は、途中からでも変えられる。
料理を学ぶことが、その人の次の一歩につながる。
そんな学校を、これからも作っていきたいと思っています。

保有資格
・国家資格 調理師免許
・国家資格 キャリアコンサルタント
・滋賀県公立高校 家庭科助教諭
・フィナンシャルプランナー3級
活動内容
・調理学校部門、料理教室部門講師
・滋賀県公立高校 家庭科非常勤講師
・多賀そば 手打ち職人
・社会福祉法人「みんなの食堂」店長
・「弁ちゃん堂」運営